再び、山へ 第4章 放射線治療のはじまり

放射線治療は「体の中の悪い細胞だけを狙い撃ちする」というイメージがあるが、医師の説明によれば、今回の治療はMRTI治療と呼ばれるもので、従来よりも照射範囲が絞られており、周囲の臓器への影響が少ないという。放射線の量も比較的低く、安全性が高いとされている。ただ、改めてリスクの説明を受けると、やはり胸の奥に不安が残った。副作用の可能性や、将来的な再発のことはどうしても頭から離れない。
医師からは「線量は低く、安全性も高い」と説明を受けたものの、改めてリスクの話を聞くと胸の奥に重さが残った。

治療の準備は7月下旬から始まった。まずは再び胃カメラで現状を確認。もう何回カメラを飲んでいるのか分からなくなってきている。その後CTで胃の位置や形を正確に把握し、照射の範囲を決める。それをもって治療計画が組まれ、実際に放射線を当て始めるまでに半月ほどを要した。治療病棟は普段の外来フロアよりさらに奥、地下二階にあり、隔離されたような独特の空気をまとっていた。外の喧騒から切り離され、ここだけ時間が違って流れているように感じられた。

照射開始までに1つトラブルが起こった。新型コロナにかかってしまったのである。幸いそこまで悪化することはなく、治療に間に合いはしたが、軽い咳が残ったのもあり照射日までに治るか病院に相談したりして焦った。

実際の照射は12日間にわたり、毎日2グレイずつ。毎朝9時半に病院に入り、4〜5回に分けて15分ほどかけて行われる。手順は決まっていて、息を大きく吸って止める。内臓が動かないようにするためだ。専用のメガネをかけ、ゲージを合わせながら息を吸い込む。自分はきちんとできているのか、毎回不安になる。放射線は目に見えないし、照射中も何も感じない。機械が動く音だけが聞こえる。それだけに「本当に効いているのか?」という疑念と、「体は大丈夫なのか?」という恐怖が交錯していた。

治療室に通ううちに、毎日顔を合わせる人たちがいることにも気づいた。年齢も境遇もわからないが、同じ時間に同じ場所で同じ治療を受ける仲間のような存在。言葉を交わすわけではないのに、不思議な一体感があった。

治療を始めて数日で、思わぬ副作用に悩まされた。下痢が続いたのだ。医師によれば「腸には照射していないので、直接の影響ではない」とのことだったが、もともと腸が弱い自分にとっては辛い症状だった。薬を使うこともできず、しばらくは食事や通院も大変だった。治療が進むにつれて少しずつ落ち着いてきたが、前半は下痢に振り回される日々でもあった。

さらに、1週間を過ぎた頃から胃のむかつきも現れた。これも副作用のひとつだろう。身体の変化に翻弄されながら、それでも通院を続けるしかなかった。途中には誕生日も迎えた。特別なことはなかったが、この時期を過ごした誕生日はきっと一生忘れないと思う。

ただ、放射線治療は「治していく」という感覚とは違い、「腫瘍を壊していく」治療だ。日に日に良くなっていく実感があるわけではなく、むしろ見えない場所で組織を破壊している。出口が見えないまま進むような感覚で、メンタルを保つのが難しかった。

それでも毎日の通院はやがてルーティンとなり、淡々と時間が過ぎていった。そして最終日、特別な儀式があるわけでもなく、あっけなく治療は終わった。

終了後、医師と面談し、今後は経過観察に切り替わった。通院は一区切りついたが、胃のもたつきは消えず、タケキャブで抑えながら日常生活を続けている。次のステップは3か月後の胃カメラ検査。治療が本当に効いているのかを確かめる、その節目を迎えることになる。

いま、まさにその手前に立っている。

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