8月に全12回の放射線照射を終え、私の闘病生活はひとつの大きな区切りを迎えた。
9月に入ると、あれほど悩まされていた胃のむかつきも、潮が引くように少しずつ治まっていった。振り返れば、当初恐れていた副作用は思ったよりも少なく済んだようだ。もちろん、治療中の下痢や倦怠感は楽なものではなかったが、日常生活を根底から壊されるほどではなかった。これだけでも、自分にとっては幸運だったと言える。
体調が戻ってくると、一つの「目標」が頭をよぎるようになった。 それは、治療方針を決める前にエントリーしていた「レガシーハーフマラソン」への出場だ。
エントリーした当時は、まさか自分が放射線治療を受けることになるとは思ってもみなかった。開催まで残された時間はあと1ヶ月。病み上がりの体で21キロを走り切れるのか、正直迷いはあった。しかし、今の自分にとって、このマラソンは単なる大会以上の意味を持っていた。
「病気になっても、また走れるようになった」
その実感を、自分自身の体で証明したかったのだ。
トレーニングの再開は、慎重に始めた。まずは週末、妻と一緒に近所をウォーキングすることから。少しずつ距離を伸ばし、体が慣れてきたところでジョギングへ。5キロ、10キロ。かつてのペースには程遠いが、それでも一歩ずつ地面を蹴る感覚が戻ってくるのが嬉しかった。
目標はタイムではない。「とにかく、歩かずに完走すること」。 スピードを上げたい気持ちを抑え、体と相談しながら距離を積んだ。最終調整でなんとか本番直前の仕上げで15キロを走破できたとき、ようやくスタートラインに立つ自信が湧いてきた。本番前日は、軽くコースの下見にも行った。
いよいよ大会当日。空は低い雲に覆われた曇天。ランナーにとっては最高の「マラソン日和」だ。 号砲とともに走り出す。沿道の声援、周囲のランナーの息遣い。必死に足を動かしながら、この数ヶ月のことが走馬灯のように駆け巡った。胃カメラの不快感、地下二階の無機質な照射室、将来への漠然とした不安。
それらを一つひとつ、自分の足で追い抜いていくような感覚だった。
目標タイムには若干届かなかったが、なんとか無事にフィニッシュラインを越えた。完走メダルを手にしたとき、こみ上げてきたのは達成感というよりも、自分の体が再び自分のもとに戻ってきたという深い安心感だった。
その後、仕事も完全に元のリズムに戻り、気がつけば治療から2ヶ月が経過していた。
12月。いよいよ正念場の胃カメラ検査の日がやってきた。 治療の効果を確認する、本当の意味での「答え合わせ」だ。気が付けば治療の日々ははるか昔のように感じられた。
診察室で結果を聞くときは、流石に緊張で喉が鳴った。 結果は――。
「胃に治療の痕跡は残っていますが、悪性リンパ腫は検出されませんでした」
その言葉を聞いた瞬間、背負っていた重荷がふっと軽くなった。 もちろん、これで全てが終わりではない。これからも定期的な検査は続くし、完全に元の胃に戻ったと言えるのかは微妙なところだ。それでも、「こういうもんなんだろう」と、今の状態を丸ごと受け止めることができた。
病を経て、新しいチャレンジも始めた。 時間も体も有限だ。以前の自分なら「また今度でいいか」と先送りにしていたかもしれないことにも、今は迷わず足を踏み出せている。そんな日々の積み重ねが、少しずつ新しい自分に近づけてくれている気がして、今はそれが何より心地よい。
病気になったことは決して幸運ではない。けれど、立ち止まったからこそ見えた景色があり、得られた強さがある。 これからも無理をせず、それでも自分らしく、週末の山や道を、そして新しい自分の人生を走り続けていきたいと思う。
まずは一区切り。 ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
(治療費などについては、同じ病に悩む方の参考になるよう、また改めてまとめて公表できればと考えています)

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